↑ レシピ書いてる現場です。
最近、どうやってレシピを考えるんですかって聞かれました。 どうやって、って抽象的なので答えにくいのだけれど 昼間、寝すぎて、目が冴えてるから、 思ってることを書いてみようかな。 (もしかすると彼女が聞きたいこととズレてるかもしれないけど…。)
自分の感覚と、他人の感覚ってだいぶ違う、って感じたことない? たとえば、43度のお風呂でも平気でざぶんと入れる人もいれば 40度でも熱めだわ、と思う人もいるでしょう。
同じぱん生地を触っても、 「柔らかい」と感じる人もいれば「ふつう」と感じる人もいる。 味もそう。 「甘すぎる!」「ちょうどいい」 「辛い!」「この辛さならたいしたことない」
それから、経験値からくる技術の差もある。
こういう個人差に加えて、入手する食材も異なれば、 持っている道具も、環境も全く違う。 せっかちさんだったり、のんびりさんだったり、性格だってそれぞれ。
だから、どんなレシピを書いたとしても 作り手が10人いれば10通り、100人いれば100通りのぱんが生まれる。 もう、それは大前提。 あきらめじゃなくて、それが料理というものだと思う。
本や雑誌に載せるためのレシピを書くときは 悩むし、やっぱり難しさを感じてしまう。 相手を目の前に教える時は、そのやりとりの中で 臨機応変、という必殺ワザが使えるけれど 文章だけで伝える時は、このワザは使えないから、ちと辛い(笑)。
そんなとき、PCの前でいつも考えるのは 自分のレシピは1本のぴんと張った糸でありたいな、ってこと。
糸そのものには、ほとんど幅がないけれど ピ〜ンとはじくと上下に幅をもって振れるでしょう? この幅の範囲で、みんなが作ってくれれば充分においしい。 もちろん糸本来の位置に近づくほどに、オリジナルの味に近い。 この振れる幅が、感覚も含めたいろんな個人差なのかもしれない、と。 そんなイメージ。
どんな糸を張るか、それが大事。
Sさん、どうでしょう。答えになりましたか?
ちょっと話はそれるけど 自分のためのレシピで、紙に書き留めたレシピなんてほとんどない。 自分が作るときは、常に自由で流動的だから ベースはあっても、形も中身も変わっていく、そんな感じ。
だから、レシピを文字であらわすとき、 たとえそれが使命であっても、 ひとつの枠にそのぱんを完全にはめてしまう、 ということがちょっと悲しいな、なんて思ったりする。
でも、うちの日記を読んでくれてる皆さんのブログにいくと 最近ではみんな自由に枠をはずして楽しんでくれてる!! よかった。 その調子ではずしまくってくださいね、これからも〜♪
|
|
|